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2020年4月1日から施行された改正民法が不動産賃貸業に及ぼす影響について、前回は賃貸人と賃借人の情報提供義務について解説いたしました。
本稿では、今回の民法改正により、敷金と原状回復のルールについて明文化されましたので、その点について解説いたします。
なお、本稿では、これまで同様、改正前の民法を「旧民法」、2020年4月1日に施行された改正後の民法を「改正民法」と記載しています。
「敷金」という言葉は、不動産賃貸借において当たり前のように使われていますが、旧民法において明確に記載された条項はなく、取引慣習や国土交通省の「原状回復ガイドライン」、判例などを指針としてやり取りされていました。
改正民法においては敷金について、定義や基本的な規律について明文化されました。敷金の定義は「いかなる名目によるかを問わず、賃料債務その他の賃貸借に基づいて生ずる賃借人の賃貸人に対する金銭の給付を目的とする債務を担保する目的で、賃借人が賃貸人に交付する金銭をいう」と定めました(改正民法第622条の2第1項)。そして、敷金の返還時期については「賃貸借が終了し、かつ、賃貸物の返還を受けたとき」(改正民法第622条の2第1項第1号)または「賃借人が適法に賃借権を譲り渡したとき」(改正民法第622条の2第1第2号)と明記し、返還すべき敷金額について「受け取った敷金の額から賃貸借に基づいて生じた賃借人の賃貸人に対する金銭の給付を目的とする債務の額を控除した残額」(改正民法第622条の2第1項)と定められました。
また、賃貸不動産の譲渡に伴い賃貸人たる地位が不動産の譲受人に移転した場合、敷金返還債務も譲受人に承継される旨も明文化されました(改正民法第605条の2第4項、改正民法第605条の3)。
この敷金の規定においては、「賃貸借に基づいて生ずる賃借人の賃貸人に対する金銭の給付を目的とする債務」とは何を指すかが重要となります。賃料債務が代表的なものとなりますが、それ以外にも賃貸借終了によって生ずる原状回復の債務や用法順守義務違反によって賃貸人に損害が生じた場合の損害賠償債務もその対象となります。
敷金と密接に関係するものとして、賃貸借契約終了時における賃借人の原状回復義務があります。旧民法において賃借人の原状回復義務について明確な規定はなく、裁判例や国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」などに沿って対応されていました。
改正民法においては裁判例やガイドラインを追認するかたちで原状回復義務についての規定が設けられました。具体的には賃借人は賃借物を受け取ったのちに生じた損傷について原状回復義務を負うが、通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化については原状回復義務を負わない(改正民法第621条)と明記されました。また、損傷の原因が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであった場合にも賃借人が原状回復義務を負わないことも明記されました(改正民法第621条但書)。
改正民法において敷金や原状回復義務に関して明文化されることになりましたが、これまでの裁判例や取引慣習等を法律に盛り込んだもので、基本的に今までの取り扱いを大きく変更する内容ではありません。そのため法規定の解釈や適用範囲については、従前の裁判例や取引慣習などでもって判断されることになります。
特に、賃借人の原状回復義務の対象を区別する「通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化」については、国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」を参考にすることが非常に有用となります。このガイドラインでは、設備ごとに通常使用によって生じる損耗や経年変化についてまとめられており、賃借人の原状回復義務の対象となるかどうかについて具体的に記載されています。もちろん、通常使用によって生ずる損耗や経年変化については、賃貸借の対象物件によって異なってきますので、ガイドラインがすべてというわけではありませんが、判断するにあたっては重要な指針となり得ます。
▼国土交通省「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」PDF
改正民法において敷金や原状回復義務についての規律が明記されましたが、これらの規律は必ず適用されるというもの(強行規定)ではなく、個別の賃貸借契約において異なる内容の定めをした場合、契約の内容が原則として優先されることになります。例えば、通常使用によって生じた損耗も原状回復義務の対象に含め、退去時に賃借人に負担させるということも契約に盛り込んでおけば可能となります。
もっとも、賃貸借契約において合意できていれば、どのような内容であっても有効となるものではありません。賃借人が消費者(個人)となる場合には消費者契約法が適用されることになり、同法では民法や商法などによる場合に比し、「消費者の権利を制限し又は消費者の義務を加重する消費者契約の条項であって、民法第1条第2項に規定する基本原則に反し、消費者の利益を一方的に害するものは、無効とする」(消費者契約法第10条)と規定されています。そのため、通常使用によって生ずる損耗や経年変化を含め、賃貸借契約期間中に生じたすべての損耗を原状回復義務の対象とする契約は無効となってしまいます。消費者契約法は当事者間の合意よりも優先されますので、同法の対象となる賃貸借契約において特約で原状回復義務の範囲を拡大させる場合、将来賃借人が負担することになる原状回復費用がどの程度のものになるか明示しておくなどの対応が必要となります。国土交通省のガイドラインは実質的に賃借人が消費者(個人)であることを想定して作成されており、特約を定めるにあたっての注意点等も記載されていますので、賃貸借契約締結の際に非常に参考となります。
他方で、賃借人が事業者となる場合、消費者契約法の適用対象外となりますので、例えば事業目的で賃貸借契約を締結する場合、通常使用によって生じる損耗であるか否かに関わらず、生じた損耗を全て原状回復義務の対象とする契約は有効となります。
このように賃借人の属性や賃貸借契約の目的によって、特約で対応できる範囲が異なってきますので、民法の規定と異なる負担を賃借人に課する内容の合意をする場合、注意が必要となります。
Q:今回明文化された敷金や原状回復義務の規定は、2020年4月1日以降に終了する賃貸借契約全てに適用されるのでしょうか
A:改正民法は、施行日(2020年4月1日)以降に締結された賃貸借契約を対象としていますので、2020年3月31日以前に締結された賃貸借契約については同年4月以降に退去することになったとしても適用されません。
Q:いわゆる敷引特約は無効となるのでしょうか
A;改正民法の規定に対して、当事者間の合意が優先しますので、消費者契約法に抵触しない敷引特約の有効性について影響はないものと考えられます。
Q;賃貸借契約締結時に保証金をもらっていますが、これはどういう扱いになりますか
A;改正民法では敷金の定義を金銭の名目ではなく交付された金銭の目的に着目して定めています。そのため「礼金」「保証金」「権利金」など「敷金」という名目でもらっていなかったとしても、賃貸借に基づいて生ずる賃借人の賃貸人に対する金銭債務の担保として差し入れられた金銭であれば全て敷金として扱われることになります。
【執筆者】森田 雅也
東京弁護士会所属。年間3,000件を超える相続・不動産問題を取り扱い多数のトラブル事案を解決。「相続×不動産」という総合的視点で相続、遺言セミナー、執筆活動を行っている。
経歴
2003 年 千葉大学法経学部法学科 卒業
2007 年 上智大学法科大学院 卒業
2008 年 弁護士登録
2008 年 中央総合法律事務所 入所
2010 年 弁護士法人法律事務所オーセンス 入所
著書
2012年 自分でできる「家賃滞納」対策(中央経済社)
2015年 弁護士が教える 相続トラブルが起きない法則 (中央経済社)
2019年 生前対策まるわかりBOOK(青月社)
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